電車で都内へ出かけるとき、私のバッグには必ず大きめのポーチが入っています。
仕事の資料でただでさえ荷物は多くて重いのですが、このポーチ(量ったら690gもありました)がないと
出先でとても不安を感じてしまうようになりました。
ポーチの中身は、携帯の充電器や電池、ラジオつきの手回し充電ライト、マスク、
軍手とタオルの圧縮セット、ビニール袋、非常食、
自分の住所や保険証番号などの他に家族全員の携帯電話やメールアドレスをリストにしたメモ、
テレホンカードと緊急用のお金を少し。つい忘れがちですがメガネとコンタクトケースも加わります。
昨年末に出版されたほぼ日刊イトイ新聞の『できることをしよう』を読んで
その内容を参考に自分で作った非常用ポーチです。
昨年3月11日、私は一人で新宿から渋谷に向かう地下鉄の中で地震に遭いました。
夕方入っていた仕事の予定は当然すべてキャンセルになりましたが、電車はすでに動かず
帰宅難民として渋谷で夜を過ごすことに。考えて、仕事の打ち合わせでよく使う
渋谷エクセルホテル東急のラウンジに向かいました。すでに大きなTVの前に椅子が並べられ
公衆電話も開放されていて、私は家族と常時無事を確認し合いながら、一夜を明かすことができました。
深夜、ラウンジのテーブルに突っ伏してウトウトしてしまい、ふと目を覚ますと
テーブルの上に温かいおにぎりが1つ置かれていました。ホテルの方が配ってくださったのです。
朝になると、カウンターが出されてコーヒーが振るまわれました。
ホテルの方にも家や家族があるはずなのに、宿泊客でもない私たちにここまでしてくれる、
その姿勢に感動して、お礼を告げにいくと思わず涙があふれてしまいました。
夜をこのホテルで過ごせたおかげで、朝になっても体力が残っており
電車が動き出してから家へと向かいました。しかし上野駅がすごい混雑で
電車に乗れるまでいったい何時間かかるのか見当がつかないような状態。
すぐに頭を切り替えて、別の路線を使うためにiphoneのGPSを使いながら上野から押上まで歩くことに。
2時間後には家族と会えていました。
あの日、早く家族に会いたくて渋谷で夜を過ごしたときの気持ち、
翌朝上野駅からスカイツリーを目指して歩いたときの風景は今も脳裏に刻まれています。
大切なのは、どこで地震に遭っても、無事に家族と会えること。
そのとき焦らず、冷静な判断ができるようにというお守りが、このずっしり重いポーチなのです。