いろんな仕事が「待ち状態」となってしまった昨日、こんなときこそ、と腰を上げて
展覧会を境にカオスと化していた納戸(書庫)へ足を踏み入れました。
ここが混沌としているおかげで隣の和室まで荷物があふれ出てしまっており、
もう入学式が来週に迫っているというのに娘の部屋が物置状態。
小学校の道具のあれこれが和室におさまらないと、次は私の仕事部屋に流れてくる......
この負の連鎖を断ち切らなくては!と一念発起した次第。
納戸に物を収めるには、古い雑誌の整理が必須だということはわかっていました。
引っ越してきた4年前、ここの本棚に収めた愛着のある雑誌たちは
さんざん迷って残した割に、取り出してめくる暇などないまま月日が過ぎていきました。
せめて後ろ髪を引かれる思いをしているならまだしも、普段は存在すら忘れているし
この雑誌の再読に着手する前に、読みたいと思っている本は他にいくらでもあるのです。
また何年後かの整理の時に「わぁ、なつかしい!」と思い出にふける数十分間のためだけに
これらを保存しておくスペースの余裕は、もう我が家にはない。
「この雑誌たちから得るべきことは、もう私の中に吸収されたはず。
振り返らずに前だけ見ていこう!」と自分に何度も言い聞かせながら
できるだけ中身をめくらずにドサリ、ドサリと重ねては紐でくくる作業に没頭しました。
この束は近々、流浪堂へと持ち込む予定です。
中身をめくらないことで、自分が仕事で手がけたページや取材を受けたページなども
あえて無自覚に処分することにしたのですが、
そんな中で、偶然見つけてしまったのがこの記事!
2002年のananのインテリア特集号で取材していただいた、私のひとり暮らしの部屋です。
30歳の私が、お気に入りの古い家具や布に囲まれて微笑んでおり(笑)、
これだけは夫に見せて笑いをとるネタ用に切り抜いてみました。
10代や20代の頃に夢中で読んだ雑誌には、ちょっと他では代替不可能な甘酸っぱさがあり
これこそが雑誌の味わいだと、書庫の整理のたびに思います。でも、
いま私が直面すべきなのは、ノスタルジーよりも目の前の現実と未来(の居住空間のやりくり)。
30歳頃までの私を育ててくれた雑誌たちよ、ありがとう、と手を振りながら
大分さっぱりした部屋で、新しい生活を始めることにします。