ほぼ毎日、学校の宿題として出される漢字の書きとり練習。
本人なりに書きやすい字、バランスがとりにくい字、
熟語が難しかったり少なかったりする字(まぁ熟語は漢字字典に頼りきりですが)、
小学一年生なりに好きな字もあれば、苦手な字もあるようです。
先週の宿題で出た「花」という字は、とてもしっかり、堂々と書けていて、
本人もほめられる前から「花は大好きだから、かんじをかくのもたのしいの」と自信満々。
好きなものを示す字はきれいに書けるなんて、
その素直さと、清々しいほどシンプルな理由に、ちょっと胸が打たれました。
最近、読者の方からブログで書いてほしいというテーマがたくさん寄せられていて
(個別のお礼がなかなか追いつきませんが、ありがたく読ませていただいています)、
その中に、こんなご質問がありました。
「奈緒さんがブログやヨガを定期的になさっていること、
娘さんが絵日記を続けていることなどに、いつも感心しています。
続けることは難しいことではありませんか。
続けるために努力なさっていることはありますか。
私も3歳になる息子がいて、これから読むことや書くことを
一緒に続けたい気持ちはありますが、彼は車で遊んだり
体を使うことの方が好きなようで、なかなか実行に移せないでいます」
私はまだほんの7年、ただ一人の子育てのまっ最中という身ですから
たった今感じていることしか書けないのですが
こどもの場合は、苦手意識を持ってしまう前に
「読むことや書くことは楽しい」というイメージにつながるような演出が
ある程度は有効なのかもしれません。
それは面白い本との出会いであったり、
ノートや色鉛筆など道具を使うことのときめきであったり、
続けることが楽しくなるようなカレンダーや
(やった日にはカレンダーに◯をつけて、何個たまるとごほうび、という方法は
やっぱりこどもにとっては面白く、やる気も出るみたいです)、
もちろんどんな出来栄えでも思いきりほめることであったり......
とはいえ娘も日記を毎日喜んでやっているかというとけっしてそうではなく
宿題やストレッチと並んで「やらなくてはいけないもの」という認識です。
どうしてもイヤになれば書かなくなるでしょうし、そのときは無理強いできません。
楽しければ続けられる、ならばどうすれば楽しくなるか、という工夫の部分を
こどもが小さいうちは周囲の大人がこっそりサポートしてあげることが
必要なのかもしれないなと思っています。
次に大人の場合(つまり私のこと)。
ブログにしてもヨガにしても、根本的に好きな気持ちはたしかなのですが、
「楽しいから続けられる」ほど、大人の毎日はシンプルではありません。
基本的に忙しいし、「あぁしんどい」と思うことはしょっちゅう。
それでもなぜ続けているかというと、それは「続けると決めたから」です。
週末と、よほどの体調不良と、旅行以外はやる、と基本ルールを決めたことで
毎日「やろうかな、やめようかな」と迷う必要がないのは、ある意味ラクです。
おそらくネタありき(ブログ)や、健康状態次第(ヨガ)だと
迷ったあげく結局やらない、という日がほとんどになってしまいます。
書く内容が充実していても、今ひとつショボくても(これはブログの話)、
元気でも、疲れが残っていても(こっちはヨガの話)、とにかく毎日やる。
その出来がどうあれ、「やったことに意味がある」と自分をほめてあげる(笑)。
「続けるための努力」とはちょっと違いますが、実際、続けられている理由は
この「決めてしまったから」というのが一番大きい気がします。
こうして書きながら、なんだかこれって、約束した以上は
多少の波風は乗り越えなくてはいけない結婚とちょっと似ているかも......
なんて思いましたが、さすがにそこまでは飛躍しすぎかな。
でも、ブログもヨガも続けたところで何がどう、という話ではなくて
「続ける日々」の先には何があるのか、それとも何もないのか、
自らの目で確かめてみたいという好奇心は、どこかにあるのだと思います。
結婚にもそういうな部分はあるような気がするのですが、どうでしょうか。